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資料名 相州江之島真景
(そうしゅうえのしましんけい)
作者 壬生昌延 詳細
時代 明治
時代詳細 明治30年(1897)
形態・用途 銅版画
解説
 北側の島の入口にある青銅製の鳥居のそばに「新地(しんち)」と記されています。ここは明治になってから埋め立てられた場所です。参道に両脇には、「江戸や」「さぬきや」「堺屋」「岩本楼」「恵比寿や」といった旅館の名前が見えます。二つ目の鳥居の先には「学校」とあります。ここは片瀬小学校江の島分校で、江戸時代には三重塔(さんじゅうのとう)があったところです(現在の市民の家あたり)。「学校」から南(上方)へ進むと、杉山検校(すぎやまけんぎょう)がその石につまづいて鍼(はり)の極意を会得したという「福石」があり、その先に「邊(辺)津宮(へつのみや)」があります。隣接して「八坂神社」があるのは現在も同じです。「辺津宮」から東へ行くと「中津宮(なかつのみや)」があります。「中津宮」からさらに進むと左手に洋風の建物があります。ここは横浜の貿易商サムエル・コッキングが明治時代に居住した邸宅であると考えられています(現在のガーデンパーラー )。さらに行くと煉瓦(れんが)の塀に囲まれた「植物園」(現在のサムエル・コッキング苑)が記されています。さらに進むと「奥津宮(おくつのみや)」に至り、階段を下ると「嬰(稚児)が淵(ちごがふち)」、「御窟(みいわ)(岩屋)(いわや)」へと至ります。
 入口の青銅製の鳥居を左側には「東町 」と記されている漁師町が広がっています。また、関東大震災により隆起した「聖天島(しょうてんじま)」が、まだ海に突き出ている状態で描かれています。

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