Fujisawa Net Museum


江の島を訪れた人びと


セーラムとピーボディ・エセックス博物館

税関の建物 1819年築世界の港と交易で結ばれていたセーラムの繁栄のシンボル

税関の建物 1819年築
世界の港と交易で結ばれていたセーラムの繁栄のシンボル

解説

 セーラム(Salem=ヘブライ語のshalomで、「平和の地」の意味)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンの北東近郊にある人口約4万人の都市です。このセーラムは、E.S.モース博士にとっては第二のふるさとで、1866年から、87年にわたる生涯を閉じた1925年までの間、この町で過ごしました。
  1620年、イギリス国教会制度に不満を抱いた人びとが、メイフラワー号でプリマスの地に到着します。セーラムへの入植は、その6年後の1626年、プリマスへの入植者の一人であるロジャー・コナント(Roger Conant)に率いられた男女、子供30名が移住してきたことに始まり、アメリカの中でも歴史ある古い町です。
  その後、セーラムは漁業、海運業、さらに造船業を基盤に発展します。18世紀後半に入り、セーラムは、ヨーロッパをはじめ、アフリカの喜望峰を回って、インド、インドネシア、中国へのいわゆる東方貿易を展開し、世界の貿易の中心地として繁栄しています。
  一方、「魔女裁判」の嵐が吹き荒れた町としても知られています。17世紀後半のヨーロッパを恐怖に陥れた「魔女狩り」がセーラムにも飛び火し、多くの犠牲者を出しています。1992年には、これらの犠牲者のための追悼記念碑が建てられています。
  現在、アメリカ入植以来の町、「心のふるさと」として、セーラムを訪れる人びとは多く、観光地として賑わっていますが、町の名の語源のごとく、どことなく心休まる穏やかな雰囲気が漂い、歴史的建築物や史跡も多く残され、落ち着いた街並みを形成しています。
  なお、セーラム市にあるピーボディ・エセックス博物館と大田区立郷土博物館が姉妹館提携を締結したことをもとに、1991年(平成3年)、セーラム市と東京都大田区は姉妹都市提携を結んでいます。

[参考文献]
(1) 「セーラムの歴史 日米友好のかけ橋となった街」 1993年 大田区立郷土博物館

 

 

詳細

イースト・インディア・マリン・ホール(East India Marine Hall)
1824年 東インド海運協会のミーティング・ホールとして建てられた建物 

イースト・インディア・マリン・ホール(East India Marine Hall)
1824年 東インド海運協会のミーティング・ホールとして建てられた建物 

 

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