資料番号 | 10052 |
資料名 | 江の嶋弁才天開帳詣
(えのしまべんざいてんかいちょうもうで) |
分類 | 江の島そのものを主題とした作品 |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 江の島 |
解説 | |
大判縦3枚続 縦35.6 横74.8 制作時期:弘化4年~嘉永5年(1844~1853)頃。板元:山田屋庄次郎(山庄) 駕籠(かご)から降りたぱかりの3人の美人が江の島弁才天の開帳に詣ようとしているところでしょうか、美人見立ての江の島詣です。右の麻葉模様の浴衣(ゆかた)の女性は腰のところで細帯を締めなおしています。中央と左の女性は「柏木」、「早蕨」、「藤裏葉」、「蜻蛉」などの源氏香(げんじこう)の模様を散らした揃いの浴衣を着物の上に重ね着し日傘(ひがさ)を持っています。この様に普通の着物の上に浴衣を着るのは旅をする時の合羽(かっぱ)の代用によく用いたといわれます。江の島に関する他の錦絵に描かれた女性はほとんどこの装いをしています。海辺の旅となる江の島詣には潮風を防ぐ意味で必需品であったものなのでしょう。中央の女性は勝山髷(かつやままげ)、左右の女性は島田髷(しまだまげ)にべっ甲の櫛(くし)、笄簪(こうがい)と銀の平打の簪(かんざし)を飾っています。全体に粋ないでたちは、いずれも芸事に関係する女性たちと考えられます。なおこの版画が出版されたのは、嘉永4年辛亥(1851年)の窟(いわや)弁財天の開帳に合わせたとも考えられます。この開帳を明記した作品を、広重は大判3枚続で3組描いており、これもその一つです。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。