資料番号 | 10063 |
資料名 | 題名不詳(江の島貝ひろい)
(えのしまかいひろい) |
分類 | 江の島そのものを主題とした作品 |
作者 | 二代 歌川 広重(重宣) ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 江の島 |
解説 | |
大判縦1枚 縦35.5 横25.1 制作時期:嘉永5年(1852)4月。板元:村市 安政6年(1859年)に二代歌川広重を継いだ重宣は、重宣を名乗っている初期の時代(弘化~安政5年)は初代の画風を習い、風景画の模倣や美人画・花鳥画を描いています。この作品は「相州江のしま詣の図、七里が浜真景」の構図を人物の向きや動きを少し変えて模倣したもので、現状は大判縦1枚ですが、最初は師と同じ大判縦3枚続の構成で、中央の1枚が残ったと考えられるものです。そして更にこの図は彼自身の作である「相州七里ヶ浜」大判3枚続、万延元年(1860年)刊板元萬屋の、中央の1枚に座って貝ひろいをしている女性の向きを変えただけで流用していることからも、七里ガ浜を描いた同じ図柄の3枚続きであったことが知られます。 |
二代 歌川 広重(重宣) (にだい うたがわ・ひろしげ)
文政9年~明治2年(1826~1869)。鈴木氏、俗称鎮平。初代広重の門人で重宣を名乗りますが、師の没後安藤家に婿入りし二代広重を継ぎます。慶応元年師家を去り、森田姓となり画名は書斎立祥を称します。画号は他にー幽斎、一立斎、立斎などがあり、作画期は弘化年間(1844-1848年)から明治1・2年(1868・1869年)。画風は初代広重にならい、横浜絵や開化絵などを制作しています。