資料番号 | 60001 |
資料名 | 参宮上京道中一覧双六
(さんぐうじょうきょうどうちゅういちらんすごろく) |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
解説 | |
蔦屋吉蔵版 安政4年(1857年) たて73.1 よこ72.8 江戸時代、道中双六は数多く作られましたが、その中でも特に多かったのが東海道道中双六でした。この「参宮上京道中一覧双六」は、京都に向かう途中、伊勢神宮に立ち寄る形式になっています。右下が振り出しの日本橋、右上が上がりの京都で、真中には富士山。実際の地理とは異なりますが、ダイナミックな構図です。当時の一般的な双六と異なり、マスを並べたつくりになっておらず、また全体が鳥瞰図の形で描かれていることも特徴的で、美術的にも価値の高い作品と言われています。藤沢の近辺では、参詣地(観光スポット)として、遊行寺(ゆぎょうじ)や七面山(片瀬、現在の龍口寺内)、さらには平塚の先に高らい寺(高麗寺)も記されています。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。