資料番号 | 60014 |
資料名 | どおけ東海道五十三次双六
(どおけとうかいどうごじゅうさんつぎすごろく) |
作者 | 歌川 国貞(三代 豊国) ![]() |
時代 | 明治 |
解説 | |
横山良八版 明治初期 たて47.3 よこ71.6 振り出しが西京(京都)、上がりは東京日本橋です。題材は江戸時代そのまま、十返舎一九『東海道中膝栗毛』に描かれた滑稽な二人組の道中ですが、こうもり傘やガス灯、日本橋の馬車など随所に文明開化の影響が伺えます。 制作年代は不明ですが、汽車が見られるのが品川だけなので、新橋-横浜駅間に正式に鉄道が開通する明治5年(1972年)直前のものと考えられます。 図中、府中(ふちゅう)は静岡に地名が変わっていますが、明治になり徳川宗家(そうけ)ゆかりの地であるがゆえに新政府に恭順(きょうじゅん)の意を示すため、市内の賤機山(しずはたやま)にちなみ静岡に改称したものです。 国政(四代)は、幕末~明治に活躍した絵師で、明治22年(1889年)に三代国貞を継いでいます。 |
歌川 国貞(三代 豊国) (うたがわ・くにさだ(さんだい とよくに))
天明6年~元治元年12月15日(1786~1864)。角田氏、俗称庄蔵、弘化2年剃髪後肖造。初代豊国、英一珪の門人で二代豊国を自称しますが実際には三代。他に一雄斎、五渡亭、月波楼、琴雷舎、香蝶楼、一陽斎などの号があります。作画期は文化4年(1807年)から没年と長く、北斎、広重をしのぐ人気を得、浮世絵界始まって以来の作画量を記録します。幕末期随一の巨匠。得意とする領域は広範に及びますが、猫背猪首型の美人画が特徴的で「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」が著名です。