資料番号 | 60015 |
資料名 | 新撰東海道五十三駅電信明細双録
(しんせんとうかいどうごじゅうさんえきでんしんめいさいすごろく) |
作者 | 三代 歌川 広重(重政) ![]() |
時代 | 明治 |
時代詳細 | 明治7年(1874年) |
解説 | |
丸屋鉄次郎版 明治7年(1874年) たて48.0 よこ71.7 明治5年、新橋-横浜駅間に鉄道が開通したのちの東海道双六です。振り出しを京都府・御所博覧会とし、上がりを東京として、神奈川(県)以降には汽車や駅舎が登場し、東京には近代的な駅舎が描かれています。 各マスの間は電信柱で仕切られていますが、関西方面の駅の絵は江戸時代のものとあまり変わりません。地名(駅名)は、吉田が豊橋となり、府中が静岡に変わっています。また、静岡に馬車が、藤沢など数ヶ所に人力車が描かれています。 |
三代 歌川 広重(重政) (さんだい うたがわ・ひろしげ(しげまさ))
天保13年~明治27年(1842~1894)。後藤氏、俗称安藤徳兵衛。父は深川の船大工。初代広重の門人で重政・一笑庵を名乗ります。慶応3年(1867)、広重の娘へ婿入りし二代広重を称しますが、実は三代目にあたります。画名は一立斎を称します。作画期は明治前期で、文明開化の文物を多く描いています。