資料番号 | 60016 |
資料名 | 東海道俳優双録
(とうかいどうはいゆうすごろく) |
作者 | 豊原 国周・三代 歌川 広重(重政) ![]() |
時代 | 明治 |
解説 | |
東京・神山清七出版 明治15年(1882年) たて60.9 よこ72.6 京都を振りだし、東京を上がりにしています。 東海道の各宿(駅)にゆかりの歌舞伎の外題の当たり役の俳優を描いた双六で、藤沢は青砥稿花紅彩画(通称、白波五人男)の弁天小僧菊之助で尾上菊五郎、戸塚は仮名手本忠臣蔵の早野勘平で片岡我童、となりの程ヶ谷(保土ヶ谷)は、相方のこしもと(腰元)おかる(お軽)です。 豊原国周は明治期における役者絵絵師の代表的存在で、それぞれの役者がみごとに描き分けられています。 |
豊原 国周・三代 歌川 広重(重政) (とよはら・くにちか・さんだい うたがわ・ひろしげ(しげまさ))
豊原 国周:天保6年~明治33年(1835~1900)。荒川氏、俗称八十八。江戸京橋の出身。はじめ羽子板師の隣春に学び、のちに三代豊国に入門しましたが、終生、歌川を称さず、豊原を名乗りました。明治時代の役者絵を代表する絵師で、国周の死を知って、九代目団十郎が「浮世絵師らしい浮世絵師がいなくなった」と嘆いたという話が残っています。作画期は安政元年頃から没年まで。花(華)蝶楼、一鶯斎、豊春楼、一桃などと号しました。三代 歌川 広重については、別の作者説明をご覧ください。