資料番号 | 10147 |
資料名 | 東海道五拾三次之内 藤沢(保永堂版)
(とうかいどうごじゅうさんつぎのうちふじさわ(ほうえいどうばん)) |
分類 | 江の島一ノ鳥居・大鋸橋付近を描いた作品 |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 藤沢 |
解説 | |
大判横1枚 縦25.6 横38.5 製作時期:天保3年(1832)~天保4年(1833)。板元:保永堂 広重には東海道の風景を描いたシリーズがいくつもあり、このシリーズは一般に板元の名から保永堂版東海道と呼ばれています。構図の良さや着眼点が受けて、広重最高傑作シリーズとして大ヒットし、以後風景画の第一人者と呼ばれるようになりました。図は藤沢宿にあった江の島一ノ鳥居を遊行寺を背景にして描いたもので、鳥居の後ろに架かる橋は大鋸橋(現遊行寺橋)です。橋の上で大きな木太刀を持った人たちは大山詣(雨降神社に太刀を奉納する)、手前、鳥居をくぐろうとしている杖をついた人たちは江の島詣(杉山検校の故事にあやかって目の不自由な人たちの参詣が盛んだった)で、藤沢宿が両地への参詣者で賑わっていたことを示しています。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。