資料番号 | 10736 |
資料名 | 東海道五十三次之内 小田原箱根間 曽我の里 鯰坊主(二代目坂東彦左衛門)
(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち おだわら はこね かん そがのさと なまずぼうず(にだいめばんどう ひこざえもん) ) |
作者 | 歌川 国貞(三代 豊国) ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 嘉永5年(1852) |
場所 | 曽我 小田原 |
解説 | |
鯰坊主は、演目『暫(しばらく)』に登場する鹿島入道(かしまにゅうどう)の通称です。「鯰隈(なまずぐま)」と呼ばれる隈取(くまどり)で、もみあげから長い毛を垂らした姿に加え、蛸が大きくあしらわれた着物は、見る者に大きなインパクトを与えます。鯰坊主は、敵役(かたきやく)でありながら、道化の要素も併せ持つ「半道敵(はんどうがたき)」という役割を担っています。 『暫』は、「歌舞伎十八番」の1つに数えられています。歌舞伎十八番とは、七代目市川団十郎が江戸時代に定めた「成田屋のお家芸」のことです。 これは『役者見立東海道五十三駅』というシリーズです。 このシリーズは、全部で一四〇点確認されています。 作者は三代豊国<とよくに>で、とても人気の高かった絵師です。 背景には宿場の風景が描かれており、手前の人物は、宿場と関わりのある歌舞伎の登場人物です。 また人物は、有名な役者の似顔絵で描かれています。 |
|
関連資料 | 役者見立東海道五十三駅 ![]() |
歌川 国貞(三代 豊国) (うたがわ・くにさだ(さんだい とよくに))
天明6年~元治元年12月15日(1786~1864)。角田氏、俗称庄蔵、弘化2年剃髪後肖造。初代豊国、英一珪の門人で二代豊国を自称しますが実際には三代。他に一雄斎、五渡亭、月波楼、琴雷舎、香蝶楼、一陽斎などの号があります。作画期は文化4年(1807年)から没年と長く、北斎、広重をしのぐ人気を得、浮世絵界始まって以来の作画量を記録します。幕末期随一の巨匠。得意とする領域は広範に及びますが、猫背猪首型の美人画が特徴的で「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」が著名です。