資料名 | 東海道遊歴双六
(とうかいどうゆうれきすごろく) |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 嘉永5年(1852) |
解説 | |
版元:恵比寿屋庄七(えびすやしょうしち) 日本橋を振り出し、京都が上がりとなっています。東海道五十三次の宿場以外をまわるルートがあり、四ツ谷追分(おいわけ)などといった地点もマスの対象とされていて、神奈川宿の新町から杉田・金沢・鎌倉・江の島を経て藤沢宿へ戻るといったルートがあります。 藤沢宿の名物は「砂糖漬(さとうづけ)」とあります。これは江戸時代からあり、現在も和菓子屋を続けている有名なお土産でした 。藤沢の隣のマス「四ツ谷追分(おいわけ)」には、今も残る「大山道」の道標や、大山に奉納する木太刀や、奉納の酒や大山でいただいた神水を運ぶための「御神酒枠(おみきわく)」をかついだ大山詣での姿が描かれています。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。