資料名 | 偐紫田舎源氏
(にせむらさきいなかげんじ) |
作者 | 歌川 国貞(三代 豊国) ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 文政12年(1829年) - 天保13年(1842年) |
解説 | |
柳亭種彦の未完の長編【草双紙】。 挿絵は歌川国貞。文政12年(1829年) - 天保13年(1842年)刊。大当たりし、14年に渡って執筆し種彦の代表作となりましたが、作者の筆禍(ひっか)(当時の政治に対しての不満等を記し罰せられる意味)と死去により、第38編(152冊)までに終わっています。紫式部(むらさきしきぶ)の『源氏物語』(げんじものがたり)を下敷きにし、時代を平安時代(へいあんじだい)から室町時代(むろまちじだい)へ移して、将軍足利義政(しょうぐん あしかがよしまさ)の妾腹の子・光氏(みつうじ)が、将軍位を狙う山名宗全(やまなそうぜん)を抑えるため、光源氏(ひかるげんじ)的な好色遍歴を装いながら、宗全一味をはかりごとで滅ぼした後、京都に戻り、将軍後見役(しょうぐんこうけんやく)となって栄華を極める、という内容です。 |
歌川 国貞(三代 豊国) (うたがわ・くにさだ(さんだい とよくに))
天明6年~元治元年12月15日(1786~1864)。角田氏、俗称庄蔵、弘化2年剃髪後肖造。初代豊国、英一珪の門人で二代豊国を自称しますが実際には三代。他に一雄斎、五渡亭、月波楼、琴雷舎、香蝶楼、一陽斎などの号があります。作画期は文化4年(1807年)から没年と長く、北斎、広重をしのぐ人気を得、浮世絵界始まって以来の作画量を記録します。幕末期随一の巨匠。得意とする領域は広範に及びますが、猫背猪首型の美人画が特徴的で「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」が著名です。