資料詳細

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資料番号 90124
資料名 関次商店 穀物蔵
(せきじしょうてん・こくもつぐら)
分類 国登録有形文化財
時代 不明
場所 本町(非公開)
解説
平成28年(2016)2月25日登録/関次商店(関野家)は旧東海道の旧家で、初代次右衛門は、後にキッコーマン(株)の設立に関わる千葉県野田町(現野田市)の茂木家(亀甲萬)にて修行した後、明治3年(1870)に現在地に分家し、白米商と亀甲萬の販売及び亀甲萬への相州小麦の仲買を開始しました。関次商店は、早期に創業した米穀・肥料問屋のひとつでした。藤沢は明治時代に高座郡役所や登記所が置かれたため、高座郡のみならず隣接する鎌倉郡・三浦郡からも農民・商人の往来が多く、さらに、八王子街道を通じて、相模原や町田までを商圏としました。このため、農村が必要とした肥料販売や米穀の集荷が集中し、明治期には30軒以上の米穀・肥料商が存在しました。                                     穀物蔵の規模は桁行5間・梁間3間で、屋根は現在トタン葺きですが、明治32年1月の古写真には瓦葺の穀物蔵が写っており、当初は瓦葺でした。外壁も現在はトタンで覆われていますが、当初は漆喰塗でした。内部は、壁に板張りも上塗りもせず、塗り壁の木舞組をそのまま見せる形式で、壁土によって湿度を調節する工夫と伝えられます。床は地面上に板を敷き、その上に転ばし丸太による低い床を組みます。平家としては軒高が約5mと高く、壁の木舞組と相まって大空間を形成します。嵩が張る小麦や米を収納する穀物蔵らしい特徴といえます。入り口は片引きの塗戸の内側に板戸を立て、また上部には北側に3箇所、東側に1箇所高窓を設ける。入り口前の石敷きは、かつて道路から母屋の土間を通って荷物を運んだトロッコの軌道の跡で、当時の用法を伝えています。構造・形式:土蔵造平屋建 切妻造 トタン葺。建設の年代:明治19年、大正後期増築。建築面積:100㎡。所有者:個人。
関連資料 国登録有形文化財 詳細

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