資料名 | 東海道一ト眼千両 見附 三作妹お辰
(とうかいどうひとめせんりょう みつけ さんさくいもうとおたつ) |
作者 | 豊原 国周・三代 歌川 広重(重政) ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 慶応3年(1867) |
解説 | |
ちりめん絵は一見小さな錦絵のように見えますが、実は和紙に摺った普通の大きさの錦絵を、棒に巻きつけ縮めて作ったものです。近くで見ると、ちりめんに似た細かい皺があります。 ちりめん絵は外国向けのものとして量産され、クレープ・ジャポン(ちりめん織をフランス語でクレープと呼ぶ)、略してクレポンと呼ばれました。当時は比較的安価に買えたものであったらしく、画家のゴッホもちりめん絵を多く集めていたとされます。 |
豊原 国周・三代 歌川 広重(重政) (とよはら・くにちか・さんだい うたがわ・ひろしげ(しげまさ))
豊原 国周:天保6年~明治33年(1835~1900)。荒川氏、俗称八十八。江戸京橋の出身。はじめ羽子板師の隣春に学び、のちに三代豊国に入門しましたが、終生、歌川を称さず、豊原を名乗りました。明治時代の役者絵を代表する絵師で、国周の死を知って、九代目団十郎が「浮世絵師らしい浮世絵師がいなくなった」と嘆いたという話が残っています。作画期は安政元年頃から没年まで。花(華)蝶楼、一鶯斎、豊春楼、一桃などと号しました。三代 歌川 広重については、別の作者説明をご覧ください。