資料名 | 題名不詳(『青砥稿花紅彩画』より白浪五人男)
(だいめいふしょう あおとぞうしはなのにしきえ しらなみごにんおとこ) |
作者 | 落合 芳幾 ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 文久2年(1862) |
解説 | |
弁天(べんてん)小僧(こぞう)、日本(にっぽん)駄右衛門(だえもん)、南郷(なんごう)力丸(りきまる)の三人が浜(はま)松屋(まつや)の主人幸兵衛(こうべえ)を囲んでおり、床には「千両」という大金が置かれています。弁天小僧と南郷力丸が一度は浜松屋から引き上げた後、日本駄右衛門の手引きで再び浜松屋に押し入り、有り金全てを奪い取ろうとする「蔵前(くらまえ)」の場面を描いています。 女性物の艶やかな着物を着崩し、片手に盃(さかずき)を持ちながら腰掛ける弁天小僧の姿は、まさに粋な盗賊といった様子です。 |
落合 芳幾 (おちあい・よしいく)
天保4年~明治37年(1833~1904)。落合氏、通称幾次郎。浅草田町の出身。歌川国芳の門人で号は一恵斎、恵斎、朝霧楼、洒落斎、恵阿弥などを名乗ります。国芳門下では芳年と競い合い、開化的な作品も多く手がけました。また国周とあわせて明治浮世絵界の三傑とも称されました。作画期は幕末から明治前期で、明治7年(1874)には『東京日々新聞』という錦絵新聞に挿絵を描き、新聞挿絵の開拓者となっています。