資料番号 | 10207 |
資料名 | 東海道名所 藤沢 遊行寺
(とうかいどうめいしょ ふじさわ ゆぎょうじ) |
分類 | 藤沢宿名所(江の島・遊行寺・四ッ谷・南湖) |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 嘉永4年(1851) |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 藤沢 |
解説 | |
小判錦絵 横1枚 縦18.1 横24.0 製作時期:嘉永4年(1851)。板元印なし この作品は、折本(おりほん)(おりほん)の「東海道(とうかいどう)名所(めいしょ)画帖(がちょう)(とうかいどうめいしょがちょう)」(広重画、1851年(嘉永4年)刊、全23図)に掲載されている図の1枚です。雪景色が美しい遊行寺(ゆぎょうじ)山門(さんもん)(ゆぎょうじさんもん)を描いた作品で、現在よりも急な参道の突き当たりには重厚な仁王門(におうもん)(におうもん)が描かれ、初代広重ならではの絶妙の画面構成といえます。この門は江戸時代に遊行寺が発行した境内絵図にも描かれていますが、明治13年(1880年)の藤沢宿の大火で焼失しました。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。