資料名 | 女織蚕手業草 十
(じょしょくかいこてわざぐさ とお) |
作者 | 喜多川 歌麿 ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 寛政10-12年(1798-1800) |
解説 | |
女性たちが蚕の糸を紡いで絹を製造する「養蚕(ようさん)」の仕事に励む様子を描いた作品で、実際には一から十二まであるシリーズ作品となっています。また、主に紫を色版に使用した「紫絵(むらさきえ)」と呼ばれる色調の作品です。 この工程は「糸綿(いとわた)を撰(えら)み分(わ)くる図」となっており、繭から取り出した糸を、その色の白さや品質などに分ける作業の様子が描かれます。 寛政年間に行われた錦絵出版の取り締まりにも関連して、歌麿はこの時期に働く女性を題材とした作品を多く描いています。 (上部詞書より) 「糸綿を択み分る図 簇(まゆはり)より糸をおろし 色白くいさぎよきを細糸のまゆとし 色黒きを粗糸乃まゆとす 真綿に引ても上中下をゑらみ分ち 形を作りて束綿幾ばく把とするなり」 |
喜多川 歌麿 (きたがわ・うたまろ)
宝暦3年~文化3年9月20日(1753~1806)。北川氏、俗称市太郎、のちに勇助。鳥山石燕門人で、作画期は安永4年から没年まで(1775-1806年)で初め北川豊章、豊章と号していましたが、天明初年ごろ歌麿と改名し、まもなく喜田川、喜多川を画姓とします。他に鳥山登章、鳥豊章、石要、木燕、燕岱斎、紫屋の画号があります。初めは春章風の役者絵、ついで重政、清長風の美人画を描きますが、板元蔦屋重三郎との関係を深め、寛政3年頃美人大首絵という新しい美人画様式を完成させます。理想の女性美を追求し、女性の内面的感情表現を試み、美人画絵師の第一人者となります。