資料名 | 東海道五捨三次 吉原 左冨士ノ縄手(狂歌入東海道)
(とうかいどうごじゅうさつぎ よしわら(きょうかいりとうかいどう)) |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 天保11年頃(1840) |
解説 | |
狂歌 栄寿堂金信 行来する 人のいく度 詠めても あしと思はぬ 冨士はよし原 吉原宿は左富士の名所として知られていました。後景の富士山へ向かうように大きく蛇行するあぜ道と、それに連なる松並木の表現により、この田園風景に広大な奥行きを感じられます。景色を楽しむ旅の醍醐味を、まるで画中の旅人と同じように味わえる作品です。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。