資料名 | 東海道五十三次 四日市
(とうかいどうごじゅうさんつぎ よっかいち) |
作者 | 二代 歌川 広重(重宣) ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 安政元年(1854) |
解説 | |
四日市宿(よっかいちしゅく)の西に位置する日永(ひなが)の追分(おいわけ)の場面を描いています。この場所で、東海道と伊勢(いせ)街道(かいどう)にわかれます。画面中央には、伊勢神宮の二(に)の鳥居(とりい)と常夜燈(じょうやとう)が見え、多くの旅人が行き交い、賑わいある追分の雰囲気が表現されています。 |
二代 歌川 広重(重宣) (にだい うたがわ・ひろしげ)
文政9年~明治2年(1826~1869)。鈴木氏、俗称鎮平。初代広重の門人で重宣を名乗りますが、師の没後安藤家に婿入りし二代広重を継ぎます。慶応元年師家を去り、森田姓となり画名は書斎立祥を称します。画号は他にー幽斎、一立斎、立斎などがあり、作画期は弘化年間(1844-1848年)から明治1・2年(1868・1869年)。画風は初代広重にならい、横浜絵や開化絵などを制作しています。