資料名 | 雪月花 武蔵 高田花 太田道灌 山吹乃古事
(せつげっか むさし たかだのはな おおたどうかん やまぶきのこじ) |
作者 | 楊州 周延 ![]() |
時代 | 明治 |
時代詳細 | 明治18年(1884) |
解説 | |
室町時代後期、太田道灌は武蔵守護代扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)家の家宰として家政を取り仕切り、文明8-12年(1476-80)の長尾景春の乱などで活躍した武将です。江戸城を築いたことで有名で、大庭城を築城したとの伝説もあります。武将としても学者としても一流という定評がありましたが、謀殺された悲劇の武将としても有名です。伊勢原市内に首塚があり、伊勢原市役所前には銅像が立っています。 この作品は、武蔵国での道灌の故事が描かれています。鷹狩りの最中に俄雨に降られた道灌は近くの農家を訪ねて蓑(みの)を借りようとしましたが、家の娘が差し出したのは蓑ではなく一輪の山吹の花でした。怒って帰った道灌はその夜、娘が本当は蓑もない貧しさを実の(蓑)ならない山吹に例えたことに気づき、自らを恥じます。この日を境に道灌は歌道に精進するようになったといいます。画面上には富士山と江戸城が描かれています。 |
楊州 周延 (ようしゅう・ちかのぶ)
天保9年8月8日~大正元年9月29日(1838~1912)。橋本氏、名は直義。はじめ国芳、初代国貞、のちに豊原国周の門人となります。作画期は慶応3年頃から明治40年頃まで(1867-1907年)で一鶴斎、二代芳鶴、揚州などの画号があります。国周門下の第一人者で、3枚続の明治風俗画や徳川大奥シリーズが著名です。