資料名 | 武英猛勇鏡 御所五郎丸重宗 曽我五郎時宗
(ぶえいもうゆうかがみ ごしょごろうまる そがのごろうときむね) |
作者 | 歌川 国芳 ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 天保7年頃(1836) |
解説 | |
曽我五郎時宗と御所五郎丸重宗の組み合いを描いています。将軍源頼朝のもとで富士の巻狩(まきが)りが行われた際、曽我兄弟の仇討ち(工藤祐経(くどうすけつね)を殺害が行われ、兄・祐成はその場で仁田四郎忠常(にったしろうただつね)に討たれますが、弟の時致(ときむね)は、さらに頼朝を襲おうとして、その宿所に侵入しましたが、女装した小舎人(ことねり)の御所五郎丸によって捕らえられました。画中の両者の後ろでは源氏の笹竜胆(ささりんどう)の家紋の入った幔幕(まんまく)が乱れ、組合いの激しさが伝わってきます。 |
歌川 国芳 (うたがわ・くによし)
寛政9年11月15日~文久元年3月5日(1797~1861)。江戸日本橋染物屋の生まれで、幼名芳三郎、俗称孫三郎。初代豊国の門人で柴田是真、勝川春亭にも学んでいます。作画期は文化9年頃から万延元年(1812-1860年)で画号は国芳の他、一勇斎(文政初期~万延元年)、採芳舎(文政中期)、朝桜楼(天保元年~万延元年)、雲谷仙真などがあります。文政末年、水滸伝豪傑錦絵シリーズで人気を得、武者絵、洋風風景画を得意とします。門人は芳虎、芳艶、芳幾、芳年など多数います。