資料番号 | 10255 |
資料名 | 東海道四十八 五十三次之内 坂の下(蔦屋版)
(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち さかのした(つたやばん)) |
分類 | 藤沢宿名所(江の島・遊行寺・四ッ谷・南湖) |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 弘化4年(1847)~嘉永5年(1852) |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 坂の下 |
解説 | |
中判横1枚 縦18.1 横24.5 坂下宿の手前の筆捨山(ふですてやま)の場面を描いています。この茶屋は、鈴鹿川を挟んだ対岸に望む筆捨山の眺望が評判でした。画中の赤枠の中に「古法眼筆捨山」とありますが、これは古法眼(こほうげん)と称された室町時代の絵師、狩野元信(かのうもとのぶ)がこの山を写そうと筆を取ったところ天候の変化に左右され思うように写しきれず、ついに諦めて筆を捨てたという故事に由来するものです。 製作時期:弘化4年(1847)~嘉永5年(1852)。板元:蔦屋吉蔵 このシリーズは板元名から俗に蔦屋版東海道と呼ばれます。 |
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関連資料 | 蔦屋版東海道 ![]() |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。