資料番号 | 10288 |
資料名 | 五十三次名所図会 二十七 懸川 秋葉道四十八瀬ごへ(竪絵東海道)
(ごじゅうさんつぎめいしょずえ にじゅうしち かけがわ あきはみちしじゅうはっせごえ(たてえとうかいどう)) |
分類 | 藤沢宿名所(江の島・遊行寺・四ッ谷・南湖) |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 安政2年(1855) |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 掛川 |
解説 | |
大判縦1枚 縦35.3 横24.0 製作時期:安政2年(1855)。板元:蔦屋吉蔵 掛川宿の西には、秋葉(あきは)神社への参詣路である秋葉道(みち)の追分がありました。秋葉神社は火伏(ひぶせ)の神として江戸時代に全国的に篤く信仰されていました。 表題にある「四十八瀬」とは三倉(みくら)川(がわ)のことで、画中に見えるように人々が歩いて渡れるくらいの浅瀬をいくつも越えて秋葉神社へと向かいました。 このシリーズが竪(たて)型版であるため、一般に竪絵(たてえ)東海道と呼ばれ、広重晩年(59才)の作品です。広重の東海道ものは大体において、横型の風景画が多いなかで、竪型物もいくつかあります。この名所図会シリーズではほとんどの宿が鳥瞰図で描かれ、町並み等に遠近法を用い、横判では見られない雰囲気をかもし出しています。 |
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関連資料 | 五十三次名所図会 ![]() |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。