資料番号 | 10322 |
資料名 | 東海道張交図会 蒲原 由井 興津(山藤版)
(とうかいどうはりまぜずえ かんばら ゆい おきつ(やまふじばん)) |
分類 | 藤沢ゆかりの文物・見立を描いた作品 |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 蒲原 |
解説 | |
大判縦1枚 縦37.8 横25.8 製作時期:安政3年(1856)。板元:山口藤兵衛 蒲原・・岩淵より不二河眺望 描かれている富士川は穏やかな姿に見えますが、実際は急流となっており、現在でも日本の三大急流といわれています。 由井・・・倉沢おどりの図 「倉沢おどり」の様子が描かれています。現在も倉沢という地名はありますが、この踊りの文化は残っていません。 興津・・・田子の浦の景 「田子の浦にうちいでて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」は奈良時代の歌人・山部赤人の詠んだ歌です。歌にあるように、富士の高嶺に雪が降り積もっているのを眺めているようです。 広重は風景を中心とした東海道ものを多く描いていますが、この画の様な異なったタイプのシリーズも残しています。これは一般に張交(はりまぜ)東海道といわれるもので、1枚の中に3~5宿の風景、名産、物語等が挿入されています。 |
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関連資料 | 東海道張交図 ![]() |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。