資料番号 | 10330 |
資料名 | 東海道張交図会 四日市 石薬師 庄野 亀山(山藤版)
(とうかいどうはりまぜずえ よっかいち いしやくし しょうの かめやま(やまふじばん)) |
分類 | 藤沢ゆかりの文物・見立を描いた作品 |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 四日市 |
解説 | |
大判縦1枚 縦37.8 横25.8 製作時期:安政3年(1856)。板元:山口藤兵衛 四日市・・・那古の浦蜃気楼 かつて蜃気楼の名所として知られていた伊勢湾の海辺に、たくさんの帆掛け舟が停泊しています。 石薬師・・・義経の杖桜 源義経の異母兄・源範頼が、先勝祈願のために桜の枝を地面に刺したところ、そこから桜が生えたという伝説。 庄野・・・名馬・摺墨 鎌倉時代の名馬として有名な摺(する)墨(すみ)の出所の地とされており、摺墨の後ろ姿が描かれています。 亀山・・・亀山城 白壁の櫓や塀の白壁に用いた胡粉が白い蝶のように美しく見えたところから、別名「粉蝶城」と呼ばれています。 広重は風景を中心とした東海道ものを多く描いていますが、この画の様な異なったタイプのシリーズも残しています。これは一般に張交(はりまぜ)東海道といわれるもので、1枚の中に3~5宿の風景、名産、物語等が挿入されています。 |
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関連資料 | 東海道張交図 ![]() |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。