資料番号 | 10378 |
資料名 | 東海道五十三次之内 四日市之図
(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち よっかいちのず) |
分類 | 江の島一ノ鳥居・大鋸橋付近を描いた作品 |
作者 | 歌川 国貞(三代 豊国) ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 四日市 |
解説 | |
中判縦1枚 縦25.6 横18.3 宮宿以降、京都まで国貞オリジナルの背景に変化しますが、四日市宿の背景は例外的に広重の保永堂版東海道「四日市 三重川(みえがわ)」からの引用になります。三重川は四日市宿の中心地を流れる川です。草原の向こうは海となっており、左端の家並みの先に見える柱は、湊に停泊する舟の帆柱です。また風に煽られてなびく大きな柳の木や、強風に難儀する旅人の様子も描かれています。手前には、眉を落とし、お歯黒(おはぐろ)を付けた妙齢の女性が描かれています。広重の保永堂版の図では、風に飛ばされた菅笠(すげがさ)は旅人のすぐ前に描かれていますが、本作では手前の女性を挟んで、菅笠がはるか彼方に転がっています。 製作時期:天保10年頃(1839)。板元:佐野喜(佐野屋喜兵衛) 国貞(三代豊国の前名)描くこの東海道シリーズは、各宿の風景をバックにして前面に立ち姿の美人を描いたもので、全シリーズを通し、バックの風景画は広重の保永堂版東海道に非常によく似ています。 |
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関連資料 | 五拾三次景色入女画 ![]() |
歌川 国貞(三代 豊国) (うたがわ・くにさだ(さんだい とよくに))
天明6年~元治元年12月15日(1786~1864)。角田氏、俗称庄蔵、弘化2年剃髪後肖造。初代豊国、英一珪の門人で二代豊国を自称しますが実際には三代。他に一雄斎、五渡亭、月波楼、琴雷舎、香蝶楼、一陽斎などの号があります。作画期は文化4年(1807年)から没年と長く、北斎、広重をしのぐ人気を得、浮世絵界始まって以来の作画量を記録します。幕末期随一の巨匠。得意とする領域は広範に及びますが、猫背猪首型の美人画が特徴的で「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」が著名です。