資料番号 | 10454 |
資料名 | 東海道名所之内 ふちさハ 遊行寺
(とうかいどうめいしょのうち ふじさわ ゆぎょうじ) |
分類 | 藤沢宿名所(江の島・遊行寺・四ッ谷・南湖) |
作者 | 歌川貞秀(橋本 貞秀) ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 文久3年(1863) |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 藤沢 |
解説 | |
大判縦1枚 縦35.0 横23.1 製作時期:文久3年(1863)。板元印なし 遊行寺(ゆぎょうじ)の前を通る一行が描かれています。題字の横には左右に「江戸の方(えどのかた)(江戸の方向)」「鎌倉道(かまくらみち)」、遊行寺横の林には説教節(せっきょうぶし)(人々に語り継がれてきた物語)『小栗判官(おぐりはんがん)』に関連する「小栗堂(おぐりどう)」「小栗十騎の墓(おぐりじゅっきのはか)(小栗判官の部下の墓)」、右下の江の島一の鳥居(えのしまいちのとりい)付近には「江の嶋みち」といった表記が見られます。鳥瞰図(ちょうかんず)を得意とした貞秀(さだひで)らしく地誌的な内容に意識が向いている様子がうかがえます。 文久3年(1863)の十四代将軍家茂の上洛を意識して出版された東海道シリーズで「上洛東海道」と言われているものの一枚です。作者の橋本貞秀は、鳥瞰図的な構図の浮世絵(名所図など)に優れ、「空飛ぶ絵師」などとも呼ばれますが、この「藤沢遊行寺」も同様の構図が見られます。行列は遊行寺坂上(画面右上)から藤沢宿の大鋸橋にまで陸続と続き、その長さを強調するかのようです。遊行寺は当時歌舞伎などにも取り上げられていた「小栗判官照天姫」物語で街道の名所の一つとなっており、図中にも「小栗堂」「小栗十勇士之墓」が示されています。手前に見える鳥居は江の島一ノ鳥居。遊行寺の山門は現在と異なり仁王門となっています。 |
歌川貞秀(橋本 貞秀) (うたがわ さだひで(はしもと さだひで))
文化4年~没年不明(1807~)。橋本氏、名は兼次郎。初代国貞の門人で作画期は文政9年から明治8年頃まで(1826-1875年)、画号には貞秀、玉蘭斎、五雲斎、玉翁などがあります。慶応2年パリの万国博覧会の出品し浮世絵師の総代をつとめ、明治元年の絵師番付では1位となります。