資料番号 | 10457 |
資料名 | 東海道名所之内 江之島
(とうかいどうめいしょのうち えのしま) |
分類 | 藤沢宿名所(江の島・遊行寺・四ッ谷・南湖) |
作者 | 二代 歌川 国貞(四代 歌川 豊国)・二代 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 江ノ島 |
解説 | |
大判縦1枚 縦36.0 横24.3 製作時期:文久3年(1863)。板元:伊勢屋兼吉 文久3年(1863)の十四代将軍家茂(いえもち)の上洛を意識して出版された「上洛東海道」シリーズの一枚で、二代国貞(四代豊国)と二代広重の共筆作品です。将軍が江の島の岩屋の前で、海女の親子が海中から鮑(あわび)を取ってくるようすを上覧している場面でしょう。ただし、実際に家茂が上洛の途中で江の島へ寄った事実はなく、江の島にゆかりの源頼朝に仮託したものと考えられます。画面中央の波を境に、陸上のようすを二代広重が、海中のようすを二代国貞が描いており、人物が得意な二代国貞、風景描写に長けた広重が、それぞれの手腕を発揮しています。 文久3年(1863)の十四代将軍家茂の上洛を意識して出版された東海道シリーズで「上洛東海道」と言われているものの一枚で、四代豊国(二代国貞)と二代広重との合筆による作品です。将軍が江の島の岩屋の前で、海女の親子が海中から鮑を取ってくるようすを上覧している場面でしょう。画面中央の波を境に、陸上のようすを二代広重が、海中のようすを四代豊国が描いています。この作品ように、複数の絵師が分担して描いて完成させることはままあります。ここでは、人物が得意な豊国、風景画に長けた広重がそれぞれの手腕を発揮しています。ただし、実際に家茂が上洛の途中で江の島へ寄ったわけではなく、おそらくこれは江の島にゆかりの源頼朝に仮託したものと考えられます。 |
二代 歌川 国貞(四代 歌川 豊国)・二代 歌川 広重 (にだい うたがわ・くにさだ(よんだい うたがわ・とよくに)・にだい うたがわ・ひろしげ)
四代 歌川 豊国:文政6年~明治13年(1823~1880)。三代豊国の門人で、はじめは三代国政を名乗り、師匠の長女と結婚して二代国貞をつぎ、三代目の没後四代目豊国を継ぎます。号に国貞時代の梅蝶楼、宝来舎。豊国を名乗ってからの香蝶楼、一陽斎などがあります。幕末から明治にかけて役者絵、美人画などで活躍しました。二代 歌川 広重については、別の作者説明をごらんください。