資料番号 | 10009 |
資料名 | 冨嶽三十六景 相州七里浜
(ふがくさんじゅうろっけいそうしゅうしちりがはま) |
分類 | 七里ヶ浜から遠景に江の島を描いた作品 |
作者 | 葛飾 北斎 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 江の島 |
解説 | |
大判横1枚 縦26.1 横37.5 制作時期:天保2年(1831)頃。板元:永寿堂 北斎を代表する揃物作品「冨嶽三十六景」のうちの一図です。 七里ヶ浜の景色でありながら、浜辺は省略され、画面中央に木が高く聳える島と富士が大きく描かれるという珍しい構図になっています。中央の木の生えた島は江の島として描かれたものか、小動岬として描かれたものは判然としません。おそらく北斎は、このシリーズにおいては実景を描くことよりも、富士を印象的に見せる構図を作り出すことに意識が向いていたのでしょう。 また作品全体が青の色調で摺られた「藍摺り」となっています。この青色には舶来の染料、ベルリンブルー(通称「ベロ藍」)が多用されており、新しい時代の色彩を作り出すという試みの作品でもあったと考えられます。 冨嶽三十六景シリーズのうちの1枚。いわゆる藍(あい)摺りといわれるもので、しかも漢画的要素が強く、一般的な浮世絵とは感覚を異にしています。また制作年代も近頃の研究で、従来の文政年間より少し時代の下がる天保2年が定説となりつつあります。 |
葛飾 北斎 (かつしか・ほくさい)
宝暦10年~嘉永2年4月18日(1760~1849)。幼名は時太郎のち鉄蔵と改名。画号は多く、改名した数は30を越え、春朗、可候、画狂人、丸々蜃、前北斎爲一、爲一、卍等があります。勝川春章の門人で狩野融川、堤等琳、柱吉弘行などに学んだといわれ、門人には北馬、北渓、北寿、辰斎などがいます。作画期は安永8年から没年(1779-1849年)までです。彼の作域は広く、浮世絵というジャンルだけでは捉えられない活躍をしています。