資料番号 | 10522 |
資料名 | 「東海名所 改正道中記 二 汐留鉄道館 新橋 品川迄一り二十丁」
(とうかいめいしょ かいせいどうちゅうき に しおどめてつどうかん しんばし しながわまで いちり にじゅっちょう) |
分類 | 江の島一ノ鳥居・大鋸橋付近を描いた作品 |
作者 | 三代 歌川 広重(重政) ![]() |
時代 | 明治 |
時代詳細 | 明治5年(1872) |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 新橋 |
解説 | |
大判縦1枚 縦34.6 横22.9 製作時期:明治8年。板元:山清(山崎屋清七) 新橋は東海道五十三次の宿場ではありませんが、鉄道開業により駅が設けられたことにちなんで、今作品で取り上げられています。 明治5年(1872)、日本で初めての鉄道が、横浜駅(現・桜木町駅)‐新橋駅間で開通しました。開業時の新橋駅の駅舎は、レンガ造りの2階建ての駅舎が2棟並び(作品では1棟しか見えませんが実物は2棟あります)、その間にホームに繋がる通路が設けられていました。横浜駅と同じくアメリカ人技師のブリジェンスが設計に携わりました。この洋風建築の駅舎は、文明開化を象徴する新たな名所として、開化絵(明治初期の情景を描いた浮世絵を開化絵と呼びます。)の題材となりました。 三代広重描くこのシリーズは、明治前期の東海道各宿駅の風景が華やかな色彩(幕末から明治初期に海外からあざやかな科学顔料が入り使用される)で描かれています。 |
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関連資料 | 東海名所改正道中記 ![]() |
三代 歌川 広重(重政) (さんだい うたがわ・ひろしげ(しげまさ))
天保13年~明治27年(1842~1894)。後藤氏、俗称安藤徳兵衛。父は深川の船大工。初代広重の門人で重政・一笑庵を名乗ります。慶応3年(1867)、広重の娘へ婿入りし二代広重を称しますが、実は三代目にあたります。画名は一立斎を称します。作画期は明治前期で、文明開化の文物を多く描いています。