資料番号 | 10526 |
資料名 | 東海名所 改正道中記 六 境木の立場 程ヶ谷 戸塚迄二り九丁
(とうかいめいしょ かいせいどうちゅうき ろく さかいぎのたてば ほどがや とつかまで にり きゅうちょう) |
分類 | 江の島一ノ鳥居・大鋸橋付近を描いた作品 |
作者 | 三代 歌川 広重(重政) ![]() |
時代 | 明治 |
時代詳細 | 明治5年(1872) |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 保土ヶ谷 |
解説 | |
大判縦1枚 縦34.6 横22.9 製作時期:明治8年。板元:山清(山崎屋清七) 権太坂(ごんたざか)を登った先の境木(さかいぎ)の景色が描かれています。立場(たてば)とは、宿場と宿場の間に設けられた休憩所のことです。この辺りが武蔵国(むさしのくに)(保土ヶ谷宿)と相模国(さがみのくに)(戸塚宿)の境となっていました。難所の坂を登った先にある茶屋では、ぼた餅が名物で、眺望もよく、後景には鎌倉山(かまくらやま)が見えます。 画面中央の自然の立ち木を利用して、電信線が架設されています。また、画面手前から続く坂道には、揃いの傘と半纏(はんてん)を身に着け、御神酒枠(おみきわく)を担いだ大山詣(おおやまもうで)の一行が描かれています。人力車や電信線など明治になって新しく取り入れられた文化と、江戸時代より変わらず続く大山詣の景色が描かれています。 三代広重描くこのシリーズは、明治前期の東海道各宿駅の風景が華やかな色彩(幕末から明治初期に海外からあざやかな科学顔料が入り使用される)で描かれています。 |
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関連資料 | 東海名所改正道中記 ![]() |
三代 歌川 広重(重政) (さんだい うたがわ・ひろしげ(しげまさ))
天保13年~明治27年(1842~1894)。後藤氏、俗称安藤徳兵衛。父は深川の船大工。初代広重の門人で重政・一笑庵を名乗ります。慶応3年(1867)、広重の娘へ婿入りし二代広重を称しますが、実は三代目にあたります。画名は一立斎を称します。作画期は明治前期で、文明開化の文物を多く描いています。