資料番号 | 10631 |
資料名 | 東海道五十三次内 水口
(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち みなくち) |
分類 | 藤沢ゆかりの文物・見立を描いた作品 |
作者 | 歌川 芳員 ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 嘉永6年(1853 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 水口 |
解説 | |
中判横1枚 縦25.4 横18.1 製作時期:嘉永6年(1853)。板元:丸蔦 坂ノ下(さかのした)は、弥次喜多道中記から「五右衛門ぶろの底が抜ける噺」。十返舎一九『東海道中膝栗毛』では、小田原宿の出来事として登場しています。 水口宿(みなくちしゅく)名物は干瓢(かんぴょう)。白い干瓢を家の柵に掛けて干しています。女性の持つ、顔のようなかたちの大きなモノに馬子もびっくり。実はこれは「夕顔」の実。干瓢は「夕顔」(ウリ科の植物Calabash)の実をひも状に剥いて作るのでした。 歌川派の多くの浮世絵師が東海道五十三次シリーズを描いていますが、芳員が描いたこのシリーズは、各宿場にまつわる伝説や逸話を面白おかしく紹介しています。全般的に横小判の絵の中にはユーモラスな図柄が多いとも言われます。 |
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関連資料 | 東海道五十三次内(芳員) ![]() |
歌川 芳員 (うたがわ・よしかず)
生没年不詳。歌川国芳の門人で、作画期は嘉永年間から明治3年頃(1848~1870)。春斎、一川などと号しました。武者絵、花鳥画などと共に、横浜絵も多く手がけ、また草双紙の挿し絵でも活躍しています。