資料番号 | 10022 |
資料名 | 風流四季の遊 弥生の江之島詣
(ふうりゅうしきのあそびやよいのえのしまもうで) |
分類 | 江の島土産など関連の文物を描いた作品 |
作者 | 喜多川 歌麿 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 江の島 |
解説 | |
大判縦1枚 縦37.6 横25.0 制作時期:享和年間(1801~04)頃。板元:鶴新 この作品は1月から12月までの12枚揃で制作されたもののうちの1枚で、表題はすべて同じです。12枚全部は確認されず、現在わかっているものは、「陬月(すうげつ〔正月〕)の大神楽」「睦月(むつき〔正月〕)の女郎買」「皐月(さつき〔5月〕)の肴売」「水無月(みなづき〔6月〕)の水売」「初秋の多満祭」「名月の遊興」「霜月(しもつき〔11月〕)の神詣」「玄英(冬の別名)の雑司谷」の9点です。この作品は商家の女房が伴の若者を連れて江の島詣に出かける姿を描いたもので、菅笠(すげがさ)をかぶり黒襟(えり)のコートを着て手甲(てっこう)をした女房と天秤(てんびん)で荷物を振り分けて肩にかけた従者の姿は、当時の近場の旅の典型的なスタイルです。この作品は他に所有されているところは少なく、多少補色した部分が見うけられますが、貴重な資料であるといえます。 |
喜多川 歌麿 (きたがわ・うたまろ)
宝暦3年~文化3年9月20日(1753~1806)。北川氏、俗称市太郎、のちに勇助。鳥山石燕門人で、作画期は安永4年から没年まで(1775-1806年)で初め北川豊章、豊章と号していましたが、天明初年ごろ歌麿と改名し、まもなく喜田川、喜多川を画姓とします。他に鳥山登章、鳥豊章、石要、木燕、燕岱斎、紫屋の画号があります。初めは春章風の役者絵、ついで重政、清長風の美人画を描きますが、板元蔦屋重三郎との関係を深め、寛政3年頃美人大首絵という新しい美人画様式を完成させます。理想の女性美を追求し、女性の内面的感情表現を試み、美人画絵師の第一人者となります。