資料番号 | 10031 |
資料名 | 六十余州名所図会 相模江之嶋岩屋ノロ
(ろくじゅうよしゅうめいしょずえさがみえのしまいわやのくち) |
分類 | 江の島そのものを主題とした作品 |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 江の島 |
解説 | |
大判縦1枚 縦35.8 横24.1 制作時期:嘉永6年~安政3年(1834~1856)。板元:越平 越村屋平助から出版された「六十余州名所図会」は、玄魚の「大日本六十余州名勝図会」の目録で大判錦絵縦1枚の70枚一組みからなる大作で、嘉永6年~安政3年(1853-1856年)にかけて刊行されています。この六十余州に代表されるように弘化元年から安政5年(1844-1858年)まで、広重48才から62才で没するまでの作品の多くは縦版で、特に晩年にあたる安政期のシリーズ「五十三次名所図会」、「冨士三十六景」等で、横板とはまた一味違う効果と情趣を表現しようとしたあとがうかがわれます。彼は「名所江戸百景」の続刊中に病に倒れ、安政5年9月6日未明62才の生涯を閉じています。辞世は「車路に筆を残して旅の空西の御国の名ところを見舞」とあり、死後もなお名所絵に意欲を燃やす風景絵師広重らしい歌です。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。