資料番号 | 10039 |
資料名 | 東海道之内江之嶋路七里ヶ浜江ノ嶋遠望
(とうかいどうのうちえのしまじしちりがはまえのしまえんぼう) |
分類 | 七里ヶ浜から遠景に江の島を描いた作品 |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 江の島 |
解説 | |
大判横1枚 縦22.5 横35.1 制作時期:天保5年(1834)頃。板元印なし 「東海道之内江ノ嶋路片瀬自七面山見浜辺」とともに、東海道の脇路を描こうとしたものですが、脇路ということで発売しても人気が薄かったのでしょうか、他の図は出版されていません。しかし他の版下が残っていて新たに復刻されています。これらの図には他に例を見ない脇路を、画題としてとり上げた広重の意欲といったものが感じられます。この作品のもっている空間の広がりは、他の七里ガ浜を描いた浮世絵よりも、また洋風表現によって描いたものをはるかに超越しています。ここには富士山も描かれておらず、江の島も点景として存在するだけで、画題のとおり七里ガ浜が中心となっています。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。