資料番号 | 10043 |
資料名 | 諸国名所 相州七里浜
(しょこくめいしょそうしゅうしちりがはま) |
分類 | 七里ヶ浜から遠景に江の島を描いた作品 |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
時代詳細 | 天保11年~13年(1840~1843)頃 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 江の島 |
解説 | |
横1枚 縦10.2 横15.6 制作時期:天保11年~13年(1840~1843)頃。板元印なし 横長16.8cm、竪長11.2cmという大変小さな画面に、七里ヶ浜(しちりがはま)から見た江の島の様子が描かれます。このような小さい浮世絵は豆判(まめばん)と称されますが、本作は小奉書(こぼうしょ)(約47cm×約33cm)を八ツ切りにしたサイズに近いと考えられます。 手前の切り立った岸壁は小動岬(こゆるぎみさき)と思われ、上部に松が描かれます。小動岬(こゆるぎみさき)の名称は、その頂に小動(こゆるぎ)の松という、風もないのに揺れたと伝えられる松に由来します。 諸国名所シリーズのうちの七里ガ浜の図で、前景に切り立った断崖を置き、正面中景に海に浮かぶ江の島を描き、遠景には富士山と帆かけ船を施すなど、遠近感を表現するのに心憎いばかりの工夫をこらしています。他にこうした小品に江の島が関係するのは「諸国名産」(有田屋清右衛門版)があり「相州江の島産鮑かす漬細工」があります。そして更に小さいその半分の作品には、本朝名所の縮図である「諸国名所相州七里ヶ浜」があります。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。