資料番号 | 10046 |
資料名 | 相州江之島眺望
(そうしゅうえのしまちょうぼう) |
分類 | その他 |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 江の島 |
解説 | |
中短冊1枚 縦33.3 横11.2 制作時期:安政元年(1854)2月。板元:蔦吉 これは「鎌倉七里が浜風景」と対で、蔦吉から出版されたもので中短冊です。広重は相州一番の名所である江の島に度々訪れて、多くの作品を残しています。広重は「武相旅絵日記」のスケッチ旅行の際に江の島の岩本楼に投宿し、同絵日記の第三十二景に「同所岩本楼上」、三十三景に「おとなしく酒宴」と、岩本楼での投宿の様子を伝える2回を残しています。これは広重が江の島を訪れるごとに、好んで泊まった岩本楼の「富士見の間」から描いた、富士の景と思われる一図です。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。