資料番号 | 10047 |
資料名 | 風景江の嶋図会従岩本院不二眺望
(ふうけいえのしまずえいわもといんよりふじちょうぼう) |
分類 | その他 |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 江の島 |
解説 | |
団扇絵1枚 縦19.5 横22.4 制作時期:安政元年(1854)4月。板元:伊場仙 団扇(うちわ)絵(え)として描かれた作品。江の島の老舗(しにせ)旅館(りょかん)である岩(いわ)本院(もといん)(現岩本楼(いわもとろう))の高楼(こうろう)から富士山を眺めている画面です。手前に描かれたくつろぐ女性はまるで、富士山を見せるために身をよじらせており、広重の画面演出の巧みさが感じられます。高楼の欄干(らんかん)や、床などの構造物は直線で構成されており、自然や人間の曲線を帯びるフォルムとの違いを際立たせているところも見所のひとつです。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。