資料番号 | 10051 |
資料名 | 相州江之嶋岩屋之図
(そうしゅうえのしまいわやのず) |
分類 | 江の島を岩屋側から描いた作品 |
作者 | 歌川 広重 ![]() |
時代 | 江戸 |
形態・用途 | 書画 |
場所 | 江の島 |
解説 | |
大判縦3枚続 縦37.2 横75.6 制作時期:天保4年(1833)頃。板元:川長 江の島が画面一杯に描かれ、将来展開されるべきさまざまな要素が含まれています。色彩的には藍や緑がかなり強く出ていて、後のおさえた色調のそれとは異なっていますが、空間の処理の仕方に広がりを見せています。また前景として、いく分、類型的な三角形の大きな波も広重らしい特徴を表しています。岩場で遊ぶ人々、右1枚の部分には、それが平坦であるため俎板岩(まないたいし/魚板岩)といわれる所にござを敷き、酒をくみ交わしている場面があり、中1枚には女性に何かをねだる裸の子どもがいます。さらに左1枚には旅人が銭を投げる仕草をしていて、その銭を海中に飛び込んで拾おうとする子どもがいて、江の島での旅人の風俗が端的に画面に出ている描写となっています。 |
歌川 広重 (うたがわ・ひろしげ)
寛政9年~安政5年9月6日(1799~1858)。安藤氏。幼名徳太郎。のちに重右衛門、徳兵衛。歌川豊広の門人で、他に狩野派、南画、四条派の画法も修得しています。作画期は文政元年頃から没年まで(1818-1858年)で広重の他一遊斎(文政元年~天保元年頃)、幽斎(天保1,2年頃)、一立斎(天保3年~13年頃〉、立斎(天保13年~安政5年頃)、歌重(天保末)などの画号があります。初めは歌川派の美人画、役者絵、武者絵を描いていましたが、天保年間より風景画家の道を歩み、著名な東海道五拾三次をはじめ多くの名所絵を発表し、花鳥画、動物画なども手がけました。